2007 |
08,01 |
『前夜』
「ったく、あいつら何やってんだ……」
世闇は街灯に照らされることなく、月明かりにほんのりと照らされるのみ。
静寂を破るのは、生ぬるい叫び声と風が運ぶ嬌声。
少年は目の前に広がる校庭とその先にある校舎を睨みつけた。
――深夜零時、魚津城址跡の小学校は、無数の霊体が飛び交っていた。
普通なら気分が悪くなりその敷地内に入ることも躊躇われるような悪劣な霊瘴の中に少年は平然と歩を進める。
「…………」
そして、校庭の真ん中に辿りつくと少年は立ち止まった。
「……好き放題にさせやがって」
少年は押し殺した物言いで、しかし、苛立たしさを隠すことなく言葉を紡いだ。
ここは、魚津城址跡、つまり、上杉の敷地だった場所だ。……それなのに、この飛び交う怨霊のごとき霊体はどこのものか。
少年・千秋修平こと安田長秀は憮然と周囲を睨み据えた。
「……ッか野郎」
どいつもこいつも馬鹿野郎だ……!
千秋は低く真言で霊たちを縛るとともに印を結んだ。
朗々とした響き。
蠢く霊体たちが断末魔の叫びを上げる。
けれど、容赦はしない。
なぜなら、
(ココはおまえたちの居ていい場所じゃない!)
白光が闇を包む。手のひらの上で開放される《力》は校舎を照らして全てを飲み込んでいく。
吹き上がる風に前髪を揺らし、千秋は出せうる限りの《力》を開放した。
「……ったく」
再び闇が訪れてきたころ千秋は額に浮いた汗を手の甲で拭い、清浄な空気を吸い込んだ。
《…………》
「おまえら何考えてんだよ……」
――お前たちは仮にもこの土地の守護霊やってんじゃないのかよ……?
《…………》
「……ま、俺には関係ないことだけどな」
皮肉気に口端を吊り上げ、あの悪霊たちをのさばらせることを許した守護霊たちを見た。
すると、やはり思う。自分はこいつらと同じ感覚ではないのだと。
《……ェ……ト……ラ、……サ、マ》
千秋は目を細めた。
最期の最期まで大将たる景勝を信じて自害した武将たち。だから、その大将に対する思い入れは格別なのだろうが――。
「……だったら」
――忠義を尽くせよ。
「嘆くまえにやることがあるだろう」
アイツが戻ってきたときのためにも、アイツを安心させるためにも。
だけど、そう言っておきながら千秋自身笑いが込み上げてくるのを感じていた。
なぜにこの土地に千秋が踏み入れたのかを思えば、そんなこと説教たれられるご身分ではない。
もう上杉となんて関わらない、と決めてどれだけの時が過ぎただろうか。
今日ここに千秋がいるのは、単なる気紛れだ。忠誠とか大義とかそんなたいそうなものからではない。
早々に忠義なんてものは捨て、気ままに生きている。
忠義なんて甚だムカつくだけだ。
それが千秋が四百年で得た解答えだ。
だけど、だからと言ってそれに固執しなければ生きていけない魂を否定する気はない。
《…………》
怨めしく見つめてくる霊体に対して、千秋は目元を緩めた。そして、手を合わせる。
――覚醒(めざ)めるのは、今じゃなくていい、と。
「色部さん……!」
「……ああ」
幼い綾子を連れて色部が魚津城址跡の小学校を訪れたのは、千秋が訪れた次の日だった。
思わず振り返る綾子に対して色部は頷き、この綺麗さっぱりとした空間を眩しく見やった。
「――……これって……」
あまりにさっぱりしていた空間には確かに見知った空気が存在していた。
「……ニアミスだったな」
存在するのは、約三十年行方知れずになっている仲間の一人――の残留念気だ。
間違えようのない《気》に対して二人はしばらく言葉もなくその場に佇んでいた。
「――……バカ」
沈黙を破ったのは綾子の罵りだった。
その一言にどんな想いが込められているかは痛いほど分かる色部は返事の代わりに俯く彼女の頭を撫でた。
白衣女からどうにも収拾がつかないと連絡を受けたのは一週間前の出来事で、予定がつかずこの地に訪れるのが今日になってしまったが。
「……やはり、アイツも捜さなくてはな」
「まったく無事なら無事で連絡よこしなさいよ……!」
ほんと勝手な奴、と唇を尖らせるが、目元はほんのりと濡れて怒っていることを否定していた。
彼が行方知れずになってから約三十年が景虎と同じように経っていた。この世に残っているか、残っていないか、行方はようとして知れなかったが、これで彼がこの世に残り、生きていることが確認できたことになる。よくぞあの激動の戦場の中で生き残ったというべきか。
《――勝長様……》
「……藤か」
「長秀は!?」
はっと顔を上げた綾子は開口一番尋ねていた。
《…………》
けれど、白衣を着た美しい霊体はその場に佇むだけで綾子の問いに答えようとはしない。
「藤」
――長秀に会ったのか?
色部もまた努めて冷静に問うた。
彼は以前から上杉に愛想を尽かせていたし、この戦いが終わったら抜けるとまで明言していたのだ。今の今まで連絡がなかったのが彼の意志なのだろう。だから、彼女の口から何を聞かされたとしても驚かないだけの心積もりはある。
《……――会うというほどの邂逅ではございませぬ》
「では?」
《私がここに参りました時には既に事は終わっておりました》
「会っていないということか……」
《……すぐさま捜したのですが、長秀様らしきお人はまったく見当たらず》
藤もなんとも情けないような表情を浮かべ、頭を下げた。
「そうか」
そうとしか色部は答えようがなかった。どうやら長秀がこの敷地内に訪れたのはちょうど藤が町全体の鎮護のために出ていたときだった。普段なら敷地外の一般人の暮らす土地に滅多に出ることはないが、今回、一般人にまで影響が出始めて抜き差しならない事態に陥り、影響を極力ださないために色部たちを待つ一週間は鎮魂の鐘を鳴らし歩いていたのである。
《……ただ、今思えば――》
「なんだ?」
《――長秀様の宿体は……》
――幼子かもしれませぬ。
「…………」
「…………うそ」
今まで黙って聞いていた綾子がぼそりと呟いた。
いろいろな意味で信じられないのだろう。なにせあの安田長秀ときたら好んで成人換生を繰り返し続けてきたのだ。その長秀がまさか子供に換生するなんてそうは考えられないのが普通だ。
「その根拠は……?」
《――丑三つ時に町を歩いていた子供を見かけた白衣女がおりまする》
見かけたのが霊査能力の高い藤であれば、その子供が安田長秀であったか判っただろうが、
「それだけでは決め付けられないだろう」
《はい。ただ――》
藤は懐かしむように微笑を浮かべ、
《――長秀様らしいと思うのです》
彼らしい?
《滅多に見ぬような美少年の様相だったそうです》
それも少女のような容貌であったと聞いております、と藤はくすくすと笑い出した。
「…………」
「…………」
色部と綾子は顔を見合わせた。
それが本当なら――。
「――つまるところ」
「人生楽しんでんのね……アイツは」
――本当に彼らしいと思う。どんなときも人生エンジョイがモットーのようなところがある人間だ。
「あーあ、心配しちゃって損したわよ」
《ふふ……長秀様だとよろしいですね。晴家様》
「見つかったら、うんと働かせてやるんだから!」
まったく、と言って腰に手をあてる綾子は、さっきまでの切実さはなく膨れっ面に晴家らしい笑みを浮かべていた。
「ともかくこれで人数が揃うな」
景虎の不在のうえ、さらに直江も使い物にならず、綾子と色部での二人で切り盛りしているが、現状綾子が子供であるので実質的には色部一人で取り仕切っている状況になるのだ。相手が抜ける云々言っていたとして聞く耳持つ気はない。だから、消息を断たれているともいうのだが、見つけてしまえば抜けさせるなどそう簡単にさせはしないのは当然である。
だが、しかし、すぐさま捜索網をかけたが、やはり安田長秀の消息をつかむことはできなかった。
なぜなら、安田長秀こと千秋修平の家族は富山から新天地・東京へと次の日には旅立ったからである。加えて千秋自身がその《力》の使いすぎで打っ倒れて、新天地の移動途中の見知らぬ土地で即日入院となったのも一因である。
再び安田長秀と彼らが対面するのは、少年が退院して新たな自宅に足を踏み入れたその時となる。
――end.