2007 |
05,24 |
『千秋(せんしゅう)に映える笑み』
何故ここに存在るのだろうか。
彼がいないというのに……。
どうして俺は――ッ。
それは衝動的なものだった。
存在を消滅してしまいたいという慟哭からの――、
燃ゆる紅葉に山吹く銀杏。
極彩色に彩られる季節に添え花にもならない行為。
――好きにすればいい。
「!」
直江はハッと顔を上げた。
脳裏に閃いた人影に我に返らされて――、
「…………」
直江はゆっくりと頭をめぐらした。
広縁、軒先と続くさきに、
「俺は止めねーよ」
「…………」
――一人の少年。
もともと茶色いだろう髪は陽の光に透けて不思議な輝きを放ち、白い肌は四季を彩る紅葉や銀杏によく映えて、容貌は少年と言うより少女に近い感じだった。だが、その眼鏡の奥にある二つの眸は、
「やりたきゃやれよ」
鋭い刃物のようだった。
「――――……」
直江の唇がわずかに震える。
少年はじっと直江を見ていた。何するともなくただじっと――。
きゅっと直江はと唇を引き結び、両拳を握り締めた。
「最後まで見ててやるからよ」
少年が余程少年らしくない笑みを、その愛らしい唇を歪めてつくる。
輝く髪が身に入(し)む冷ややかな風に揺らめいて、少年は瞳を細める。
それが今生での――、直江信綱と安田長秀の初顔合わせだった。
「はじめまして。千秋修平と言います」
にっこりと子供らしいちょっと幼めかというぐらいの満面の笑みを浮かべて名乗った。
その発言に気まずくそっぽを向く人や飲みかけたお茶を気管に詰まらせた人、引きつった笑みを浮かべた人……千秋の周りの反応は様々だ。しかし、このような反応をした人々は千秋の笑顔が似非であることを知っている者たちである。
そして、そうでない人たちと言えば、
「千秋くんか。元気がいいな」
その子供らしさに微笑ましく思い、
「まーほんと! 小さいのにしっかりしているのねぇ」
その礼儀正しさに感心し、
「ねーねー千秋くんは今何歳?」
……その整った美少年の顔に騙される。
そして、少年はにっこりと笑って九歳だと答えれば、直江の姉・橘冴子はキャーと叫ばん勢いで目を輝かせた。
《…………》
《…………》
《…………》
「ぼく何が好きなの?」
「ぼく好き嫌いなんてないよ! ぼくなんでも食べる!」
おばさんが作る料理美味しそう! なんてリップサービスも込めてぱっと花が咲くように笑顔を少年は作った。
「まー偉いわねぇ! うちの義明も好き嫌いはなかったんだけど美味しくなそうに食べるから……」
本当に困ったのよ、と感慨深げに頬に手を置く直江の母、橘春枝の仕草からすっかり千秋が可愛らしい良い子と認識してしまっていることは明らかだった。
《…………》
《…………》
《…………》
「千秋くん! 学校でモテるでしょう!?」
少年はにっこり微笑む。
「そうよねぇ、これだけ可愛ければねぇ」
(母さん……)
存外に直江の幼き頃が可愛くなかったと言われているようで微妙だが、実際、昔も(今も?)暗い少年なので母親の嘆きになにも口出せない直江であった。
しかし、この目の前の生物は何なんだ……!?
直江は咳き込みから立ち直り、千秋を化け物を見るかのように凝然と見た。しかし、勿論、千秋の表情は崩れない。それどころか―――、
「義明お兄ちゃん?」
どうかしたの? と小首を傾げて直江に笑みを向けた。
《……な、長秀……》
ぞわっと背筋に悪寒が走って思わず思念波で千秋の原名を呼んだ直江である。
「お兄ちゃん?」
「…………ッ」
返答は――どうかしたの? とばかりに思念波ではなくきょとんとした可愛らしい笑顔で返されて、ひくっと直江の頬が引き攣れたのは言うまでもない。
「……い、いや……」
目の前の少年は何なんだ!? こんな安田長秀は知らないッ!! いつも暴君のような言動と好き放題やっている彼とは似ても似つかず――だとしても、その猫の被り加減は……。
《あー……直江――》
《……悪いな》
助け舟ともなんとも言えない思念波に少年からその脇を固める二人へと視線をやった。
《いろいろあってな……かなり……機嫌が悪いんだ》
《ちょっとねぇ……無理させちゃったからねぇ》
と、二人が二人思念波を送ってくるには来るが直江と目を合わせようとはしない。仕方なく直江は少年へと再び視線を戻したが――、
「…………ッ」
何をしたんですか!? 二人ともッ!!
「義明?」
直江に呼びかけたのは、直江の父不在のためその場に同席した二番目の兄・橘義弘だ。いつもとは違うそわそわしている弟を怪訝に思ったのだろう。
「い、いえなんでもありません……」
そうとしか答えようがない。だが、直江は忘れている。安田長秀という男、初対面の人物にはとことん礼儀正しく時として慇懃無礼な印象を与えることを。
千秋はまたふわりと微笑んだ。
「!」
……だとしても、直江の動揺はさほど変わらないかもしれない。
なぜなら、どちらにせよ直江にとってその少年の笑みはこれから直江自身に災難が降りかかるだろうことを嫌でも連想させ、やはり心臓に悪いだろうことは変わりないからである。
――一方、千秋はというと、
やはり、浮かべる笑顔とは裏腹に色部や綾子の読みどおり凄まじく不機嫌であった――というか、不機嫌を通り越して……笑みを浮かべていた。
昨日は不意打ちのように退院、強制的に運動会に参加させられ、運動会の振り替え休日である今日は……寝ている間に車に乗せられたらしく、眠りから覚めた時には高速道路を走っている真っ只中だった。
で、体の弱い千秋は、車酔いを起こし直江の実家である光厳寺にたどり着くまで何度か吐いていた。
だというのに挙句、辿りついてみれば、馬鹿が自殺を謀ろうとしているではないか……。ぐったりとしている暇もありゃしない――……。
(いい加減にしやがれこの野郎……ッ!!)
千秋でなくてもキレるだろう。
(なんでこの俺様が……)
こんな目に遭わねばならない!? と千秋は心の中で憤りながらも、愛想良く橘家の人々の質問、疑問に答えていく。その最中――、
「義明お兄ちゃん?」
千秋は可愛らしく小首を傾げてみせた。
(あん、呆然とこっち見てんじゃねーよ……)
「お兄ちゃん?」
(誰のせいで、宇都宮くんだりまで俺様が連れてこられたと思ってんだよ……! けっ)
千秋は猫撫で声も上げそうなほどの勢いで大きな猫を被り、子供らしく無邪気に微笑む。
「い、いえなんでもありません……」
というなら、もっとまともな顔しやがれ! と絶やさぬ笑みの下で千秋は口悪くなじっていたのは言うまでもない。
――end.